闘病リハビリ日記~病は気だけじゃ治らない~ その15

闘病リハビリ日記は、その14で一区切りを迎えたのですが、昨年末に進捗があったので報告です。

麻痺した左手足の後遺症か?動きが鈍かったり、物を落としたりと、寒くなった12月は不調気味でした。
酷い時は、寝ているときに左手が冷えて、自分の腕ではないような感覚だった事もあります。
痩せたこともあり、とても寒がりになってしまった事もあって、生まれて初めて上下ヒートテック、更に就寝時には左手足にウォーマーを巻いて寝たりしていました。

「動くようにはなったけど、もう元には戻らないんだ・・・
と、半ば自分の腕でなくなったような左手足を呪わしく思った夜もありました。

年末となった12/30、昼間の内に外掃除をして、正月の飾り付けの下準備をして、早めに就寝したのですが、
寝付く段階で急に手足に痛みが走りました。
今まで感じたことがない手足の外側、小指から肘、膝にかけての痛みでした。
どうしたんだろう?また悪くなるのかな・・・と不安を覚えましたが、よく考えてみたら今までこの部分は感覚が無くなっていたはずの箇所で痛みを覚えると言うことは感覚が戻ってきたということ?と思いながら朝を迎えました。

明けた大晦日の朝、痛みはほぼ消えていました。
そして・・・
手足の感覚は・・・そう、倒れる前のレベルにほぼ戻っていたのです。
ずっと感じていた違和感もかなり小さくなっています。


車の運転でも左手足を積極的に使うこともできますし、キーボードのタイプも左手のミスタイプがかなり減りました、今のところは物を落とすこともありません。

これは・・・1年3ヶ月かかって、ついに壊れていた脳からのラインの修復ができたということなのでしょうか?
痛みは開通した証?
医学的なところはわかりませんが、元に戻ったのは事実なのです。

そんな形で2014年を迎えることができました。

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この闘病日記の最後に、このような報告ができたことをうれしく思うと共に、応援して頂いた皆様に御礼申し上げます。今年は完全復活に向けて、なお一層、身体と家族を大事にしながら進んでいきます!


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闘病リハビリ日記~病は気だけじゃ治らない~ その14


一過性脳虚血症(TIA)

”TIA発症後90日以内の脳梗塞発症例のうち約半数は、TIA発症後48時間以内に発症した。
メタアナリシスによると、TIA発症後90日以内に脳卒中を発症する危険度は15~20%であった。
TIA発症平均 1 日後に治療を受けた場合、90日以内の大きな脳卒中発症率が2.1%となり、平均20日後に治療を受けた場合に比べて90日以内の大きな脳卒中発症率が80%軽減され、入院期間の短縮や入院経費、さらに 6 か月後の後遺症が軽減した(The Early use of eXisting PREventive Strategies for Stroke study:EXPRESS)”

脳卒中治療ガイドライン2009より引用

このブログでも触れましたが、改めて現在医学の見解を読んで頂くと、一過性脳虚血症(TIA)は、脳梗塞へかなり高い確率で発展する病気で大変危険だということ、早期の発見と治療でその後の脳卒中発生確率が大きく変わってくるということがわかります。

・激しい目眩
・激しい頭痛
・ろれつが回らない
・言語の喪失
・物が二重に見える
・片方の手足のマヒ


これら症状があったら注意が必要です。
一過性の名前の通り1時間以内に症状が軽減されてしまうのですが、それは脳梗塞に発展する前にラッキーなことに血栓が流れ去り、脳細胞への血液供給が再開されたからです。ここが運命の分かれ道なのですね。

Decoはまさしくそれで命を拾いました。
それでも、その後の手足のマヒという後遺症には苦しめらましたし、リハビリで日常生活は送れるようになりましたが、握力は完全には戻らず、重量物を運ぶような作業は一生できないと思われます。
これが右手足なら自動車の運転もできなくなったかもしれません。
また、梅雨時の気圧が不安定な気候だと、メニエール病との相克か?リハビリで動くようになった手足も調子が悪く、痛みやしびれで動かしづらくなってしまうなどの不自由に見舞われます。

「なんか調子悪いけど、少し寝てればいいか?」
と、Decoも思っていた時期がありました。
でも、それは恐ろしい病気の前兆で、身体が発したSOSだったのかもしれません。

自分を守れるのは自分だけです!
些細な変調も見逃さないようにしましょう。
そして、積極的に医学の知見に触れましょう。


そして、いざ発病したら貴方の味方は自分自身と家族しかいません。
「病気になったのは貴方の自己管理の問題だ!」
「できる人なのに惜しいねぇ」

そう言って会社や、利害関係だけで繋がっていた人間は踵を返して去っていきます。
長年友人と思っていた人の本性を見ることになるかもしれません。

でも、諦めてはいけません。
貴方と貴方を支えてくれる家族のために、どんなに苦しくても、どんなに惨めでも、前を向いて病を癒すことに努力してください。
病魔を招いたのが自分なのかもしれません、でも奇跡を起こすのも自分なのです!


この記事で「一過性脳虚血症との闘病日記」の一区切りとさせて頂きます。
Decoにはまだメニエール病という厄介な病気もありまして、そのことに関しては別の記事でお話しさせて頂くつもりです。


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闘病リハビリ日記~病は気だけじゃ治らない~ その13

おかげさまで傷病手当金を継続給付頂けることになり、色んな手続きも無事期限までに完了しました。
これでまた前向きにリハビリに取り組むことができるようになりました。

・・・と格好いいことを書いてますが、やはり「一生足は治らないのではないか?」「娘の学費はどうしよう?」「また働けるようになるんだろうか?」と不安な気持ちは強く、夜は眠れないことが多かったのがこの時期です。

「杖を買おうかな・・・」

そう思ったのもやはり弱気になってきていたのでしょうね。
この時期、義母さんのガンが見つかり通院・入院が必要になったこともあり、少しでも家内の負担を減らすためには単独で外出できるようにならないといけませんでしたし・・・

そんな思いでいた1月第3週、自身の変調に気がついたのです。
急に食欲が沸いてきました。
特に肉が食べたくて食べたくてしょうがありません。

体型的にデブなDecoなのですが、実は元々食はそんなに太くなく、更に倒れた後は細くなっていました。
あっさりとしたもので充分で、肉類は気分が悪くなることもあったくらいです。
それが、急に猛烈に肉が食べたくなってきたのです。家内に頼んで肉を多めに買ってきてもらいました。

そして1/21の朝・・・
いつものようにベットから降りようとしたら、左足が以前のようにちゃんと床に下ろせて、そのまま立ち上がることができたのです!そして、左足を踏み出すと・・・ちゃんと前に出るようになってました!

「ウソだろう?夢かな?」

と、思って廊下を歩いても普通に足が出ます。
今まで手すりにつかまって右足だけを前に出して一段づつ降りていた階段も、少々危なっかしいですが両足を使って降りられました!

リビングにいた家内に「歩けたよ!歩けるようになった!」と声をかけました。

家内も言葉には出していなかったが「この人はもう一生歩けないのかも・・・」と思っていたらしく、あまりのことに目を見はっていました。

歩けるようになった理由は、正直よくわかりませんが、「損傷した部分(脳や神経)のバイパスを体内で作る復旧作業を身体が進めていて、それがある日突然繋がるという事があり得る」と医師にも言われました。

肉を食べたくなったのも、工事の仕上げにエネルギーを補給しろという影響だったのでしょうか?
「日々リハビリを諦めずに続けていなければ、身体も治す必要性を感じなかったかもしれない。諦めなかったお陰ですよ!」

そう医師に言われて、諦めなくて良かったと本当に思いました。

2012年末にどん底の状態で誓った言葉

「家族のためにも、もう一度歩けるようにならなくてはいけない!
必ず歩けるようになると信じて、最後まであきらめず不可能を可能にするぞ!」


この言葉が実現しました。あまり好きな言葉ではないのですが、奇跡だったのかもしれません。


奇跡は諦めない奴の頭上にしか降りて来ない!!!!!
”奇跡”ナメんじゃないよォ!!!!!

エンポリオ・イワンコフ 『ONE PIECE』より


世代的にあまり読まない漫画なのですが、ONE PIECEに、こんないい言葉があるそうです。

大切なのは最後まで諦めない事。どんなに辛い状況でも未来を信じる心の強さが不可能を可能にする。信じる力が勇気になるんだ。
って、ウルトラマンも言ってたなぁ~

倒れてから4ヶ月、やっとまた足を踏み出す事ができた喜びは、今まで生きてきた中でも最上のものでした。

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闘病リハビリ日記~病は気だけじゃ治らない~ その12

そんなことで2012年は最悪の終わり方をしてしましました。

正月早々無職になって、足を引きずって歩く気分は決していいものではありませんでした。
ま、こういった気分は自分自身がそういった目に遭わない限りなかなかわからないものだなぁと思いました。
独り身ならばまた別だったかもしれませんが、(いや、独り身でも大変ですよね)家族がいて、まだ数年子供の授業料を払い続けない立場だと笑ってなどいられないのですが、もう笑うしかありません。

正月明けの短期間で色んな手続きをしなくてはいけません。

まずは健康保険です。なにせ病院通いが続いていますから、真っ先に処理しないといけません。
(当初はいきなり12/20付けで退職させれれていたら、一時的にせよ12月最終週に大学病院で受けたMRI検査他の費用から何からいきなり実費負担になるところでした。危ない危ない・・・)

これは元の会社で加入していた健康保険の任意継続をするか?国民健康保険に入り直すか?の二択になります。
これはメリットがどちらにあるか?そして、退職後どうするのか?家族の状況は?を検討しなくてはいけません。

国民健康保険料は近くの区役所の支所でも丁寧に対応して頂き、わざわざ本庁舎におられる担当さんと電話も繋いでもらって、そのばで算出して頂きました。

ポイントは4つです

①国民健康保険料は、前年度の収入により算定され、任意継続はほぼ前職時の保険料が適用(と、言っても会社負担分が無くなるので実際支払う額は給与明細に記載されていた金額の2倍になります)

②任意継続は任意継続被保険者となった日から2年間で打ち切り

③国民健康保険には扶養という観念がない。よって加入する人数によって保険料が増額になる。任意継続では条件さえ満たせば扶養家族として保険証を追加することが可能で保険料は一定。

④任意継続→国民健康保険は切り替えることができるが、逆はできない


うちの場合、扶養家族が複数名になるので、ひとまず任意継続としました。

ただし、任意継続を選択するには、その資格の有無を確認しておかなくてはいけません。

(1)資格喪失日の前日までに「継続して2ヶ月以上の被保険者期間」があること。

(2)資格喪失日から「20日以内」に申請すること。(20日目が営業日でない場合は翌営業日まで)


(1)は退職時点での勤続月数でわかると思います。
気をつけなくてはいけないのは(2)つまり12/31に退職したら、翌日1/1から20日以内=1/20までに申請しなくてはいけないというところです。

もし、12/20で退職させられていたら・・・・12/21から20日後、1/9が申請期限!でした。
しかも、クリスマス明けの連休後にそんな事態になっても、もう年内は残りわずかでした。正月明けドタバタとどうするかを決めて動かなくてはならず、更に酷な状況となっていたでしょうね。

健康保険関係で、Decoも問い合わせて初めてわかったのですが、休職中の家計の支えである傷病手当金に関してです。休職というとまだ会社の庇護下にあるイメージですが、なんのことはない無給状態です。
そこで健康保険の傷病手当金を医者の診断書を添付して、会社から申請することになります。数日の待機期間を経て、直前3ヶ月の給与付平均額の2/3を日割り計算して支給して頂けるようになります。これはとてもありがたい制度です。

この手当金は退職したりしたらもう貰えなくなってしまうのか?と思っていたのですが、給付開始より最長18ヶ月は例え離職しても継続給付頂けるのです。しかも、健康保険の任意継続が必要条件かと思ったら、そうではないのです。これには驚きました。

所定の3ヶ月の要静養、経過観察期間が終わって一過性脳虚血→脳梗塞の再発の危険性が低くなったとはいえ、まだ歩けない状態です。次の仕事を探したくても身体がこれでは働けない・・・そんな状況下の我が家に少し光が差してきた気がしました。

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闘病リハビリ日記~病は気だけじゃ治らない~ その11

12月も終わりに近づいたクリスマスに、突然我が家に会社から段ボールが届きました。

「クリスマスプレゼントじゃないよね~」と言いながら開封すると、それは会社事務所、社用車にあった私物でした・・・

「えっ!どういうこと?これは?」と驚くと共に、「あぁ、クビってことかぁ~」と、しみじみとその荷物を眺めてしましました。

営業車で愛用していたBluetoothヘッドセットが見るも無惨な形で放り込まれていました。

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悲しい気持ちで一杯でした。
メーカー時代から数えたら20年来の長い付き合いの人間から、こういった無言の解雇通告を受けるとは思ってもいませんでした。

1週間単位で病状の報告メールを送って、12月に入ってから返信も途絶えていたのですが、「師走で忙しいんだろうな、申し訳ないな・・・」と思っていた自分はちょっとお人好しだったのかもしれません。

傍らにいた娘には「お前はどんな事があっても、こういう事を相手にしちゃダメだよ。」と話しました。

その後の退職に至るまでの経緯は割愛します。
あくまで事務的に、そして是々非々でお話しさせて頂きました。
せめて小生の著作”MFC千夜一夜物語”だけでも手元に置けて良かったと思っています。

年末に無職になってしまうという、これまた最悪の終わり方をした2012年でしたが、むしろ2013年はこれ以上悪くはならないという気持ちに切り替えました。

家族のためにも、もう一度歩けるようにならなくてはいけない!
必ず歩けるようになると信じて、最後まであきらめず不可能を可能にするぞ!


この心を持てたのが、1ヶ月後の奇跡を起こす原動力になったのかもしれません。




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プロフィール

EZ-Japan(イージージャパン)代表 黒田 誠

Author:EZ-Japan(イージージャパン)代表 黒田 誠
MFC千夜一夜物語のDeco こと 黒田 誠 です。
2014年6月より流体制御機器マスフローコントローラーを中心に”流体制御関連の万(よろず)屋”EZ-Japan(イージージャパン)として開業いたしました。

流体の流量・圧力・温度に関わる計測・制御技術の伝承と、新技術のご紹介を行うエバンジェリスト(伝道師)の仕事を生業といたしております。

日本工業出版さんの「計測技術」誌で”マスフロー千夜一夜物語”の連載を続けさせて頂いています。

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